【書評・要約】「悪意のある情報」の見破る方法

著者 シェリー・シーサラー
    今西康子[訳]

飛鳥新社

本書のポイント

  • 科学は多数決ではない
  • 正しく数字を読み解く
  • 偶然と必然の境界線

「科学は多数決ではない」

現代の生活は科学者や技術者の努力にとって築かれている。
スマホ・車・遺伝子組み換え食品だ。

しかし、科学が身近にありながら私たちは科学について受け取る情報はかなり断片的でいろんな解釈ができたり、誤解を招くようなものもあり、ましてや完全に間違っているものがあったりする

科学的に完全に正しいものは、意外に少なく、まだ議論の最中のものが多数なのだ。
TVでたまに、○○のダイエット方法は間違っていた、健康には何の効果もないなど
それまでは忠実に守ってきた科学的正しいとされるアドバイス覆されることがある

また、偉い先生が健康法について解説しているときに、まだ科学的にはまだ未確定なことでも周りの人は反論もなく、TVの前の視聴者は受け身に聞き入り、正しいと思ってしまう

「正しい数字を読み解く」

誰もが死亡率の高い病気は恐れる対象だろう、その病気が今年は2倍流行していると報道があったら不安になるだろう、けれども、去年はその病気の患者は1人で、それが二人に増えたとわかれば、心配することはないだろう

3000~4000人がかかる病気だといわれるのと、10万人に1人がかかる病気だといわれた場合よりも、すごく身近なように聞こえる 同じことを、少し表現を変えて言っているだけなのだ

よくあるお金の話で、貯蓄額の平均を年代別にした表を見たことないだろうか。
以外にもそこまで貯蓄額が貯まっている人は少なくない

それは平均をかなり挙げている人がいるからだ、これはよくある数字のマジックで現実的な数字は中央値で出しているデータが現実的な数値になっているはずだ

このように、表をどの尺度で出すかによって、見え方がだいぶ変わってくる為、ちゃんと見極める必要がある

「偶然と必然の境界線」

病気にかかっている人は、病気の原因に違いないと思い込むものに曝されたりするとその思い込みが確信に変わってしまう傾向にある。
それによって実際とは異なる要因が浮かび上がってしまうのだ

また、試験薬を試しているときでも、注意がいる。
地位的に上の存在だと思う人を信用してしまい、試験薬が完全に効いているかのような結果が出てしまうこともある

ネットでの体験談を信じすぎるのも危険である。
もしかしたら同時に変化によってよくなったのかもしれないため考慮する必要がある

必然性を判断するためには、因果関係の複雑さや状況、数値を解釈する力が必要となる
経験を通して培われる偏りのない視点を得るための「目」を養うしかない

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