人生イージーモードで生きて往きたい

タケチ
タケチ

どうもタケチです。

今日は僕個人の生き方について話していきたいと思います。

かなり個人的な考え方なので「ふーん!」程度の軽い気持ちで読んでみてください。

人生イージーモードで生きて往きたいとはどういうことかを説明する必要があります。

最初に言っておきますが、

怠けてだらだらと日常を過ごす生き方をしていたいということではありません。

どういう事かというと、

今の生活スタイルを崩さずに続けていくということだ。

今の現在、年齢は30代前半、就職して10年たった。

この先も長いものだ。(そんなことはどうでもいいか)

就職し始めのと今とでは大して生活の質は変わっていません。

住むところの家賃で上下するくらいです。

前と比べてネットが便利になったというだけのように思っている。

お金の使わない生活に不便を感じてはいません。

欲しいものも特にはなく

っというか、自分の欲望はなるべく抑えるようにしている

多少の欲望への防波堤がなければ、お金がいくらあっても足りないと思っているからです。

早くも話がそれてしまった。

僕は文章を書いているときに、よく他のことが頭に浮かんでそっちにつられる。

話を戻そう。

先にいいたいことを言うと、だらだらと勉強しながら生きて往くということになる。

人生で幸福(多少)でいたいのであれば、いかに貧困にならないということが重要になってくる。

つまり、お金に困らないように生活していけば、

しがらみを気にすることなくイージーモードで生活できると思っている。

しかし、話が急に展開している気がするので、

少し補足をしよう。

まず、貧困というのは個人的な解釈です。

辞書によると

「貧しくて生活の苦しいこと・大切なものが乏しいこと」とある

貧乏とは違う。

貧乏とは収入が乏しく生活が苦しいこと

何が違うかというと、貧困とは人と比べて格差を感じることだ。

今の時代SNSをやれば、常に自分よりもいい暮らしをしている人は多くいる

下を見下ろせばいくらでも人がいるように、

上を見上げればいい暮らしをしている人はごまんといる。

つまり、人と比べることをやめることです。

そして、自分がみじめにならない程度の生活レベルを見極めることが大事になってくる。

それともう一つ大事なことは、学び続けることです。

生活レベルは一定にできても、時代の流れは一定ではありません。

昨今のニュースではリストラという文字が目立つように思います。

生活レベルを挙げずに今の仕事し続けてだらだら過ごすことはできますが、

時代の流れが変わり今関わっている仕事がうまくいかなくなることを十分にあり得ます。

僕はそれを警戒している。

つまり、僕は常に人生の難易度が突然上がらないように保つように心がけている

その方法が学び続けるしかない。

と個人的には思っています。

時代の流れが読めないためしょうがないことです。

常に逃げ道を確保できるように、一点集中の学びは避けています。

つまり別ジャンルのことを学ぶこと。

ここで少し話がそれますが、

僕が働き始めてから思うことですが、周りの人はあまり学びをしない。

仕事はできる人は多いが、できない人もかなり多い。

少しずつ勉強さえしていけば、できない人との差は広がり、

他のジャンルを学べる時間差ができる。

学びは一点集中の方がいいと思う人はいるかもしれないが、

これはリスクの分散と考えて業界全体がダメになった時の逃げ道を作っていたいという考えだ。

なんか最後は情報が重複してしまいましたね。

以上。

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