どうもタケチです。
今日は「何もない日々に人は耐えられるのだろうか」という話をしていきたいと思います。
ライフワークと呼べるようなものから、日々の小さな目標まで、「夢」は大きいものから小さいものまで様々だ。
今日の目標とか、午前中にはあの仕事は片づけたいとか、やっておきたいと
自分でやろうと、決めた事をその通りに実行するのは気持ちがいいことだ。
いわゆる達成感というやつである。
それが小さい大きいは別にして、
さぼって、グダグダしてしまったときに感じるつまらなさとは、
対照的で、「次もやってみよう」というさらなる行動力を生む。
これを続けることが夢に近づいていると感じて、日々を楽しめているのではないだろうか。
それとは逆に、朝がとにかく眠くて、今日は休みだから寝てしまおうとスマホを見ながら、ごろごろしてしまい
休み中にやりたいことがあったが、また次の休みでやろうと諦める。
こういった状態の時、「今日はごろごろできて得をした」と感じるだろうか?
誰かに邪魔されたわけではなく、自分の意思でしたことだ。
自分が好きなようにしていたのだから満足できただろう。
いや、そんなことはない。
しかし、そうならないのはなぜなのか
個人的にもこういった経験があるが不思議である。
たとえばの話で、何もない部屋に閉じ込められたと想像してほしい。
その部屋の中では、仕事もしなくていいし、食事も与えられる。
ただ一人で時間をつぶして生きていればいいだけだ。
漫画やゲームは与えられるものとしよう。
もちろんスマホもだけど、
おそらく最初は楽しいと感じ、その空間が天国に感じるかもしれない
しかし、それを何年も何十年も続けろと言われたらどうだろう。
ゲームや漫画は次々と最新のを楽しめるが、
ある時こう思う、「漫画とゲームだけで、人生が終わるのだな」と
自分をごまかし続けることはできる、ゲームをしているときは楽しいが
楽しいゲームも必ず飽きてくる。
飽きてきたときに現実に引き戻される
こういった状態は幸せなのだろうか?
以上
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